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絵を見る

私は絵を見るのが好きで、若かった頃は、どこかで面白そうな展覧会をやっていると聞きつけては、遠くの街へ、はるばる足を運んだものでした。私の若かった頃は、バブル景気のまだ勢いの残っていた頃から、急速にそれが弾けた辺りに及びます。地方都市のさえない一大学生に過ぎなかった私に、バブル景気とはいえ、そんな裕福な思いができたわけではありませんが、それでもその時代の狂騒のおこぼれのようなものに与かることはできたように思います。たぶんそういう事情もあってのことだったと思います、たまにですが不意に思い立って、夜行バスや夜行列車に飛び乗り、わざわざ遠くまで好きな絵を見に行っていました。ときには何日もかけて、美術館から美術館へと渡り歩きました。今の若い人には、そんな贅沢は滅多にできないかもしれません。

遠くまで絵を見に行くことは、私には一種の逃避行だったかもしれません。若かった頃は、世の中というものになかなか馴染めず苦労しました。それでも中学生の頃は、自分が成長してやがて高校へ進むのだということを、ごく自然に受け入れていたように記憶していますし、高校生の頃も、いろいろ疑問はあったものの、いずれ大学へ進むことになるのを、当然のことと思っていた覚えがあります。しかし、大学生になってみると、いずれ自分が社会に出て、会社勤めをするか公務員になるかはともかくとして、普通に職に就いて、歳をとるまでずっと働いていくのだということが、心の深い所ではなかなか納得できず、困りました。その頃はまさにバブル景気終盤で、大学3年生か4年生になって、いよいよ就職ということを考えなければならない頃になり、こちらから頼みもしないのに(!)いろいろな企業から連日大量の会社紹介資料が送られてきて、その資料の山で、自室が足の踏み場もなくなるほどだったのを覚えています。同級生も全員例外なくそうでした。

そうして送られてきた案内資料の大半にろくに目も通さずに、いい加減に放っておいたことをよく覚えています。嫌だったのです。とにかく嫌でした。何かはっきりした考えがあったわけではありませんでしたが、今までなんとなく流されるようにして皆と同じように学校生活を送ってきて、この先もなんとなく流されるようにして、皆と同じように、この意味もなく浮かれ騒いでいる世の中の歯車の1つになりおおせることが、自分にはどうしてもできないと強く感じていました。職業が尊いものという気持ちも、その頃の私は持てずにいたように思います。右を見ても左を見ても、大人の世界に魅力を感じさせるものは、何もないように思えました。自分の一生をかけてもいいと思える職業は、何もないように思えました。

今から振り返ると、若気の至りだったと言って済ませることもできるでしょう。けれど、正直なところ、その違和感は思いっきり歳をとった今でも、若かった頃とはずいぶんと形を変えてはいますが、相変わらず自分の心の中にあります。若気の至りは、今でも続いているのかもしれません。ちなみに就職活動を目前にした私は、その頃お世話になっていた大学の先生の勧めもあって、結局同じ大学の大学院に進むことにしました。大学院と言うと聞こえはいいかもしれませんが、要するに結論を先延ばしにしたわけです。大学生時代をモラトリアム期間(知的・肉体的には成人していながら、社会人としての義務や責任を課せられないでいる猶予の期間)と見る見方がありますが、その見方からすれば、私は自分のモラトリアム期間を延長したわけです。時代から言っても、家庭環境から言っても、そういうことが許されたのですから、自分はある意味で恵まれていたと言うしかありません。
『明鏡国語辞典』北原保雄 編、大修館書店 より

しかし、何かはっきりとした考えがあって大学に残ったというよりも、自分が社会人としてどう生きていくのかの結論を出さなければならないプレッシャーから逃れるために大学に残ったと言ってもいい状況でしたから、内心ではずっと後ろめたい気持ちを抱えていました。親に申し訳ない、また、自分のように土壇場になってごねたりせず素直に運命を受け入れて就職していった友だちに格好がつかない、といったこともありましたが、そういうことよりも何よりも、私自身の心の中からの声と言いますか、お前はそんなことでいいのか!と自分を責める気持ちにずっと悩みました。

遠くの美術館にふらっと足を運ぶことで、そういう悩みから一時解放されようとしていたのかもしれません。あのバブルの時代、そしてそれから間もなくしてやって来たバブル崩壊の時代に、横浜で見たミロ、名古屋で見たクレーやエゴン・シーレのたくさんの絵たちを、私は未だに忘れません。それからまた、他のいろいろな場所で見たいろいろな絵たちのことも。あるいはそうした絵を見たいろいろな場所のことも。本当に救われました。たとえそれがほんの一時のことに過ぎなかったとしても。

今は、こうして塾の教室に立って、日々子どもたちと付き合っています。考えてみれば不思議です。あんなに大人になるのを嫌がったこの自分が、子どもたちの前に1人の大人として立って、その子たちが大人へと成長していくのを見守っている。子どもたちの勉強を見ることにはそういう意味があると、私は思っています。私は、塾にやって来てくれる子どもたちと、勉強だけの付き合いをしているつもりはありません。勉強して中学生になって、高校生になって、何人かはさらに大学生になって、さてその先に何がある?という、子どもたちがきっと抱くであろう疑問に、いつでも私なりの答えを返せるようにしておかなければならないと思っています。私が子どもだったときは、その疑問に納得のいく答えを与えてくれる大人は、私の身近にはいませんでした。

その先に何がある?という疑問に今答えるとすれば、私の答えはこうです。それ(つまり「何」にあたるもの)は、1人1人が自分で作っていくものだということです。人生のその先に、何かが「待っている」というのは錯覚だと思っています。まして、自分だけのために待ってくれているものなど、何もないのです。仮に何かが待っているとしても、おそらく確実に言えるのは、人はいつかは死ぬということだけです。しかも死がどれくらい先に待っているのかは、誰にも分からないのです。そう思ったら、今から後、自分にできること、いや、自分が本当にしたいと心の底から思うことを、訳も何も分からなくていいから、とりあえず始めてみる以外にありません。

こうやればテストでいい点数が取れて、で、テストでいい点数をとるとこういういいことがあって、その先いい高校が待っていて、もっと行くといい大学が待っていて‥式の人生観を、今の私はまったく信じていません。(そういう人生観は、一般的にも、今ではあまり残っていないのかもしれませんが。) そう言い切る人間が塾をやっているのだから、皮肉と言えば皮肉です。でもこういう自分が塾をやっていてもひょっとしていいのでは?と思えるのは、日々教室にやって来てくれる子どもたちの顔を見るときです。子どもたちが表向きは何を期待して(というか、おそらく正しくは、何を親御さんに期待されて)塾にやって来ているかははっきりしています。けれど、子どもたち自身の顔つきや瞳が自ずと語り出している事柄があります。それを、私は、1人の大人として、大事に受け止めないわけにいきません。そういうふうに思わせてくれる子どもたちに、私は心から感謝しています。なぜなら、そこが、人間として一番大切なところだと思うからです。私は、子どもたちのおかげで、人としてなんとか立っていられます。

さて、調べてみると、この夏も、いろいろな場所で、面白そうな展覧会をやるようです。新しい富山美術館も、この夏にオープンするとのことで、楽しみにしています。もうずっと長い間、美術館でじっくり絵を見るなどということから遠ざかっていました。この夏は、久しぶりに、そういう時間を持ってみようかとも思っています。絵を見ることは、私には、自分の心の中を覗くようなところがあり、青春時代のツッパッて馬鹿だったけれどもそれなりに純粋だった心が、長い年月を経るうちにすっかり濁ってしまっている今、絵が自分の目にどう映るかが恐くもあるのですが。

(アルファ進学スクール水橋校 涌井 秀人)



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