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勉強する/させる難しさ

受験シーズンも終盤を迎えています。県立高校一般入試まではあと3週間と少し。いよいよ、です。多くの中学3年生にとって、人生始まって以来最大の試練のときです。

言うまでもないことですが、受験は「選ばれる」ためのテストであり、それまで子どもたちが経験してきたどんなテストとも違います。本人がどんなに頑張ったつもりでも、その頑張りを評価するのはあくまで他人、つまり高校や大学です。受験とは「他人の眼鏡にかなうかどうか」が試されるテストなのです。

生まれて初めて受験を経験する子どもたちにとって一番馴染みにくいことが、他人の眼鏡にかなうようにあらゆることを律していかなければならないという強制ではないかと思います。子どもは元来、好きなように拡がっていこう、伸びていこうとするものだと思いますが、受験というのは、子どもが元来持っているそういう自由気ままな傾向に、たいへん強い力でもって待ったをかけるものです。受験は、それまで自分の気持ちに正直に、自由に気ままに生きるのを許されていた子どもたちに対して、大人の世界がそれまでの寛容な表情を一変させて、突然牙をむいて冷厳な表情で迫る、そういったものです。こういうところは学校というものに、そもそもあったのではありますが。

受験が子どもたちにとって並大抵の試練ではない理由は、こういうところにあると私は思います。それは子どもたちを決して「あるがまま」には受け入れません。ある子どもが勉強嫌いで死ぬほど勉強したくない気持ちを抱いているからといって、そういう子どもを受け入れて優しく寄り添おうとする学校はありません。ある子どもが学校というものそのものが嫌で、死ぬほど学校へ行きたくない気持ちを抱いているからといって、そういう子どもを受け入れる学校はありません。学校とはそもそもそういう所で、だから受験も、1人1人の子どもの気持ちや意思を基本的に考慮しない一方的なものになる、そう言えると思います。

子どもたちにとって、これは恐るべきことであり、自分の存在そのものを脅かす脅威となります。それは大人の世界が子どもの意思とは無関係に一方的に強いてくるものであり、はっきり言って暴力です。受験というと親御さんの中には勉強のこと (例えば勉強嫌いの我が子にいかに勉強させるか、そして志望校に手が届くための学力をいかに我が子に身につけさせるかといったこと) しか考えない方がおられるかもしれません。しかし子どもたちが直面する課題はそれだけに尽きないのです。これはモチベーション (つまり勉強のやる気) と大きく関係してきます。学力をつける、あるいは成績を上げる上で一番大切なのは、よく言われる「勉強の仕方」ではなく、何よりもまず「やる気」だからです。これも多くの親御さんに見受けられますが、我が子のやる気が感じられない、ふがいないという不満は ―それを言われると私たち塾の人間は、責められていると感じます―、その内実を掘り下げてみれば、子ども自身の問題ではなく大人の社会と子どもの関係の問題であることは、いずれ思い当たることではないかと思います。

我が子にちゃんとした学力をつけさせたいと真剣に思っておられる親御さんには、ぜひともこのこと、つまり大人の社会に入っていくときに、子どもがどんなプレッシャーを感じ、そのプレッシャーと否応なく闘わなければならないかを、考えてみていただきたいと思います。そうすると、我が子がなぜ家でしっかり勉強できないのか、たとえ勉強していたにしても、なぜ時間はたっぷりかけてやっているはずなのに思わしい成果もないままなのか、あるいは、毎月苦労して高いお金を払って塾にまで通わせているのになぜこの程度の成績なのか、といったことの理由のなにがしかが見えてくるはずです。それらはほとんどすべて、大人の社会と子どもの関係に原因があると私は考えています。もちろんだからといって、塾の責任を放棄してよい理由はどこにもないのですが。

世の親御さんは我が子の勉強や成績については不満を持たれることが多いだろうと思います。その不満を我が子にぶつけたり他人にぶつけたりすることはできますが、しかしそんなことを繰り返していても事態はいっこうに先へは進まないのではないでしょうか。要するに、子どもの勉強や成績の問題というのは、子どもの成長というもっと大きな問題と密接に関係していて、そして子どもの成長という問題は、社会全体のあり方と切り離して考えることができない大きな大きな問題だということを、大人としてちゃんと考えていることが大事です。我が子が勉強しないからといって、親御さんが自分だけを責める必要もないのです。そういう視点を持って我が子の行動を見るようにしてみると、いろいろなことがそれまでとはまったく違って見えてくるはずです。そこに問題解決のヒントは隠れているのだと思います。親が勉強のことで我が子にがみがみ言うのは昔から延々繰り返されてきたことですが (ぜひご自分の胸に手を当ててご自分の子ども時代を思い出してみてください)、そんなことに何か意味があったでしょうか。

ところで成績を上げるのは大問題、社会的な問題と言っているだけではどうにもなりませんから、多少はヒントになりそうなことを述べてみようと思います。

冒頭で受験は「選ばれる」ためのテストであり、「他人の眼鏡にかなう」ようにすることが課題と言いましたが、それが子どもの自由を脅かす暴力に等しいものであり、しかもすべての子どもが否応なく巻き込まれざるを得ないのであれば、その暴力をまともに受け止めるのではなく、いっそ「かわす」行き方というものを考えてみてもよいのではないかと思います。

問題のかなりの部分は親の持っていき方にあると思います。自由を脅かす暴力の側に親が荷担するような言い方をしないこと。「勉強しなさい!」は説得力ゼロ、子どもの心に訴える力ゼロと思い知ってください。「今のままでは高校に行けないよ!」は、別に高校なんて行きたいわけじゃないから!!というネガティヴな反応を子どもの心の中に起こさせるだけです。子どもが自分の将来を心配してしぶしぶでも動くようになるのは、抵抗しても無駄だと子ども自身が自ら「諦め」、自分の将来のために自ら考えるようになったときだけです。そのときを待つ必要があります。親の第1の責務は「待つ」ことです。

もう1つ考えられるのは、勉強を他人の眼鏡にかなう ためではなく、面白がってやるように仕向けてみること。点取り虫の一種倒錯した変態的喜びを覚えさせるのも1つだと思います。そうなるよう、点数のことで意味もなく褒め続けるのです。しかしそれよりもっとよいのは、やはりなんといっても勉強そのものの楽しみに気づかせることでしょう。このためには、親自身が、勉強について、それを単に目標達成のための手段と見るだけではなく、もっとずっと広い視野で見る価値観の転換を図る必要があります。テストの結果などどうでもよくなるほどの価値転換です。

こう言うと、子どもの勉強について親が持つ不満を解消するのはなんと難しいことかと思われたのではないでしょうか。それでよいと私は思います。問題の困難さを薄々とでも知ることが、問題解決の第一歩だからです。学校とか受験、そして大人が考える勉強とは、すべて大人の社会が子どもたちに一方的に押しつけている暴力なのだと知りましょう。今我が子にがみがみ言っている当の親も、自分が子どもだったときはその謂れのない暴力にさんざん苦しめられたはずです。親が我が子に言ってやるべきは、勉強しなさいという心ない言葉ではなく、自分がどうやって子ども時代にその苦境を生き延びてきたかの経験でしょう。その経験談が説得力を持つかどうかは、自分の経験を決して美化しない誠実さにかかっていると思います。子どもは大人が思うより遥かに敏感な存在なので、大人のつく嘘などは瞬時に見抜いてしまいますし、逆にそういう大人を思いやったりすることさえします。嘘をつかない。苦労は苦労としてちゃんと伝える。そういう話なら、子どもはしっかり耳を傾けますから。最近の多くの親子を見ていると、そういう真剣な会話を果たしてどれくらいしているのだろうかと頭を傾げたくなります。いつも真剣でなければいけないわけではありません。でも人生ときには、お互いの魂が剥き出しになったかと思うくらいの「危機的瞬間」がなければならないのではないでしょうか。そういう瞬間を経験するのはかなり骨の折れることですが。でもそれを避けていては親も子も成長しないのではないでしょうか。

(アルファ進学スクール水橋校 涌井 秀人)



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